大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(わ)4095号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

「被告人は、昭和四四年六月三〇日午前二時一〇分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、信号機による交通整理が行なわれている東京都足立区千住仲町九一番地先交差点を宮元町交差点方面から関屋町方面に直進通過するにあたり、対面する信号が赤色を表示しているのを看過し、漫然時速約四〇キロメートルで同交差点内に進入した業務上の過失により、左方道路から信号に従つて進行してきた大川正志(当三二年)運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、よつて同人に加療約三か月間を要する鞭打ち損傷等の傷害を負わせたものである」

というのである。

二(一)  〈証拠〉を総合すれば、公訴事実記載の右日時に、右交差点で、被告人の運転する普通乗用自動車(タクシー)前部が、右大川正志運転の普通乗用自動車(タクシー)左側部と衝突し、その結果、大川が加療に約三カ月を要する頭部外傷等の傷害を負つたことが明らかである。

(二)  そこで、被告人がその対面する信号機の赤色の表示を看過して、右交差点に進入したとの事実、すなわち、被告人の進入時右信号機が赤色を表示していた事実の存否につき検討する。

(1)  司法警察員作成の昭和四四年六月三〇日付実況見分調書によれば、この交差点では、①千住関屋町方向から千住宮元町方向に走る幅員16.5メートルの道路と、②千住三丁目方向から千住大橋方向に走る幅員6.9メートルの道路が直角に交差しており、本件事故当時、①の道路の交差点の各方向出口左側および②の道路千住大橋方向出口右側に信号機がそれぞれ設置されていたこと、司法警察員作成の捜査報告書および警視庁交通管制課長作成の回答書によれば、本件事故当時、①の道路の両信号機は同時に青色を四〇秒間、黄色を四秒間表示し、②の道路の信号機は、青色を二〇秒間、黄色を四秒間表示しており、一方の道路の信号機が青色または黄色を表示している間、他方の道路の信号機は赤色を表示していたことが明らかである。

(2)  そして被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書ならびに同人の当公判廷での供述によれば、被告人は①の道路を千住宮元町方向から約四〇キロメートル毎時の速度で進行し、アクセルペダルから足を離してブレーキペダルに足を掛ける状態で本件交差点に進入したこと、前記第二回公判調書中の証人大川の供述部分によれば、大川は②の道路を千住三丁目方向から約三〇キロメートル毎時の速度で進行し、加速も減速もすることなく同交差点に進入して出会頭衝突したことがそれぞれ認められ、その地点は、前記実況見分調書により被告人進路交差点入口付近横断歩道の交差点内側寄りの端から12.9メートル、大川進路の同様横断歩道交差点内側寄りの端から6.26メートルの地点、ほぼ同交差点中央付近であることが明らかである。

(3)  被告人は当公判廷で、本件交差点入口から約八〇メートル手前のところで対面信号機が青色を表示しているのを確認し、さらに、交差点入口二八メートルくらいのところから二秒間くらい同信号機が青色を表示しているのを確認したうえ、同交差点に進入した旨供述している。ところが、大川は、同交差点入口一五ないし二〇メートルの地点でその対面信号機が青を表示しているのを確認した旨証言しており、この証言によれば、たとえ同人が確認した直後に右信号機の表示が黄色に変つたとしても、同人車両の前記速度に照らし、右黄色の表示がなされていた四秒が経過する前に、同車両はなお二二ないし二七メートル進行して本件衝突地点に達していたことになるから、被告人が同交差点に進入した際、その対面信号機は赤色を表示していたのでなければならないことになる。そして、また、証人坂本平吉に対する尋問調書によれば、同人は、タクシーを運転し、前記①の道路を被告人の進行方向と反対の方向から進行して来て本件交差点入口に至り、そこで対面信号機の赤色の表示に従つて停止し、五秒くらいしたとき本件衝突が起つたのを目撃した旨証言している。そうすれば、前記信号機の作動の仕方からして被告人が本件交差点に進入した際その対面信号機は赤色を表示していた筈である。

(4)  そして、本件においては、右各証言のほかにこの点を直接立証すべき証拠はないから、右各証言の証明力の評価が、本件におけるもつとも重要な争点である。

1 そこで、まず、前記坂本の証言の信憑性について検討する。

前記証人坂本に対する尋問調者によれば、坂本は右目撃事実を、事件後半年を経た昭和四五年一月にはじめて検察官に対して供述して供述調書を作成してもらつており、これが本件捜査に当つた係官に対するはじめての供述であつたことが明らかである。ところが同人の証言するところによれば、同人は前記のように事故を目撃し、大川が同じ正和タクシーに勤める同僚であつたから、ただちにその場へ行つて大川の様子を見、大川や被告人と言葉を交わしたのち、大師町交番に赴いて事故を目撃した旨を報らせ、なお正和タクシーに戻つて宿直をしていた樋口昭三に目撃した旨を話し、納金等の事務処理をしてふたたび現場に戻り三〇分くらいそこに居た。その間実況見分が行なわれていたけれども、係官に目撃したことは話さなかつたというのである。そしてまた、証人樋口昭三は当公判廷で当夜坂本から前記目撃内容を聞いた旨これを裏付ける証言をしているほか、なお、その証言によれば、樋口も現場に赴き、右実況見分中の警察官に「赤信号で対向車が止つているのだから被告人の車も当然止らなければならない筈だ」と述べたというのである。

ところで、もしそうだとするならば、本件捜査の経過に照らせば、坂本の存在はもつと早くに捜査官の知るところとなり、早くに警察官の手でその供述調書が作成された筈ではなかつたかとの疑問を禁じ得ない。すなわち、証人堀切隆に対する尋問調書によれば、右実況見分は、すでに大川が病院へ収容されてしまつたのちに、同人から何らの事情聴取もなされていない段階で、被告人だけが立ち会つて行なわれたのであるが、その際、正和タクシーの運転手が二、三人傍らにおり、この中に、右実況見分に当つた警察官堀切に対し、「被告人が居眠りかなんかしていたんじやないか」と強くいうものがいたため、同警察官は被告人にいろいろの角度から事情を聴いた。しかし、同警察官には、被告人と大川のいずれが信号無視をしたか判らなかつたとの事実が認められるのである。このような事情にあれば、同僚に傷害を負わせた者の過失責任を問う極手をもつ目撃者が、警察官が被告人に質問している間、これを拱手傍観しているのはいかにも不自然との感を免れない。また、前記樋口についても同様のことがいえるばかりでなく、同人が前記のように、目撃者を知つているといわんばかりの話をしたとすれば、警察官が、当然、その目撃者の誰かを問い質し、坂本の存在が容易に捜査官の知るところとなるのが通常であろう。そしてまた、坂本が大師町交番に赴いて目撃事実を報らせたとすれば、事案の性質上、これが重要な事実と判断されてただちに本署に連絡され、記録にとどめられるなどして、後日であつても担当係官の眼に触れることとなつたであろう。このように有力な証拠を握る手懸りがあながらこれを追及しなかつたり、記録にもとどめず放置しておくような事件処理、事務処理はあまりに杜撰であつて、およそ考えることができないのである。

しかし、本件捜査を担当した警察官たちはまつたくその事実を知らなかつた。証人染谷清に対する尋問調書によれば、前記堀切のあとを継いで本件捜査を担当した警察官染谷は、後日大川を取り調べ、大川か被告人のどちらかが嘘をついているに違いないと考えるなど事実認定に苦慮していたのである。そして右証拠によれば、本件が検察官に送致されたのち、検察官の指示で染谷が再度の実況見分を行なつた際ですら、同人は大川に対し「四釜君だつてめくらじやないんだから、君も最初いつてしまつたんでそういつているんじやないか」などときびしく問い質しているくらいである。そうすれば大川は染谷が自分を疑つていることを、当然、最初に自分が調べられたときすでに感じた筈であり、そのような場合、自己への疑惑を晴らすために、坂本の目撃事実を係官に話すのがきわめて自然なことというべきところ、このような供述が初めからなされていたことをうかがうに足る資料はまつたくない。

以上のとおりもし坂本が真に前記のように目撃していたならば辿つたと思われる捜査過程を経ず、検察官の手に事件が送致されたあとで突如坂本が目撃者として現われて供述したことは、同人の前記証言およびこれを裏付けるべき樋口の証言の信憑性に少なからぬ疑問を抱かせるものというべきである。そして、坂本の証言自体についてみても、衝突後の大川の状態についてかなり詳細な描写をしていることに鑑みれば、坂本が本件衝突後間もなく現場を通りかかつたことにつき疑問の余地はないけれども(衝突車両が動かされた時点や位置等比較的重要ではない事柄につき他証人とくい違う供述をしていたとしても、事件発生後供述までかなりの期間を経過していることを考えれば、これをもつて同人の証言を全面的に信用性なしとすることはできない)、肝心の自分が停止し衝突を目撃した点については、「事故を起した車(前後の間の内容からみて大川運転車両を指すものと考えられる)が来るのはわかつていた。だから止ろうと思つて」など、まつたく他の証言内容と矛盾する言葉を洩らしているほか、きわめて印象深い筈の衝突時の自分の状態について、「日報をつけるか真正面を見ていた」などあいまいな供述がなされているのであつて、これらの諸事実に、坂本、樋口および大川が同僚の間柄にあることを考え合わせれば、坂本の前記目撃した旨の証言が虚偽である可能性が少なからず存することを否定しえない。

2 そして、前記大川の証言について考えても、前記染谷は、前記二度目の実況見分に際し、大川がその対面信号機の青色を確認した地点を指示するに当つて、初め交差点から余り遠くの地点を指示するので、四度ほど自動車を走らせたところ、段々交差点に近づいて来たから、この辺だろうと交差点入口付近から約一五メートルの地点を同人の指示する地点と決めた旨証言しており、この証言は証人の立場から見て充分に信用しうるというべきである。また、被告人の司法警察員に対する昭和四五年四月一三日付供述調書で、被告人は「衝突直後、大川は被告人に『自分は赤信号で停止し、信号が変つたから出て来た』旨話した」と供述している。この供述は被告人の利益に反する供述として信用しうるというべきところ、大川はこれに反する証言をしているので、そのいうところが区々であるとの感を免れない。これらの点を考え合わせれば、もともと衝突事故の当事者であつて、被告人と同様の立場にある大川の証言を被告人の供述以上に信用することはできないといわざるをえない。

3 そして、大川の証言を前記坂本および樋口の証言と合わせ考察しても、これら三者相俟つて各証言の信用性を高めていると判断するに足る事情はまつたく見出すことはできない。前記のとおり、三名が同僚の関係にあり、いずれもが虚偽の証言をしているのではないかとの疑いを払拭することはできないのである。

(5)  もつとも、被告人は当初から自己の非を認めるかのような供述をしていることがその捜査官に対する各供述調書からうかがわれる。しかし、被告人は同時に一貫して自分は交差点入口二八メートル付近で対面信号機の表示を確認したと述べているのであり、右供述内容は、その後の表示を確認しないまま本件交差点に進入したことにつき遺憾の意を表明しているに留まるものと解せられるところ、右被告人の自認する事実によつても、前記被告人車両の速度に照らせば、被告人が本件交差点進入時その対面信号機が赤色を表示していたといえないことは明らかである。

もつとも、被告人は、当公判廷で、捜査官に対する右の一貫した供述を一挙にくつがえして、信号機を二秒ほど確認したなどといい出すなど、その述べるところが、必ずしも信用しうるとはいい難く、被告人の供述が真実であると認定するわけではない。かえつて、被告人の当公判廷での供述および司法警察員に対する昭和四五年四月一三日付供述調書によれば、本件衝突直後、被告人は大川に「赤信号で入つて来たのではないか」といわれ、確信をもつてこれを否定せず、帰庫時の体調は朝とは違うなど自己の体調が当時良くなかつたと受け取れる言葉を吐いていること(事故直後被告人が過失を全面的に認めた旨の大川および坂本の各証言は、その述べている最も重要な点が信用しえない以上、同様信用することができないことはいうまでもない)および被告人の勤務先で大川に被害弁償をしていることなど、被告人が自らが信号看過し、それを認識しているからこそしたのではないかと考えることもできる諸事実がうかがわれるのである。しかし、大川が傷害を負い、被告人がまつたくの無傷であつたことを思えば、被告人の方で弁償をし、当初から事件についてある程度後悔の態度を示して強く出なかつたこともうなづけないではなく、また、衝突直後の言動を重要視することが危険を伴うことは多言を要しないところであつて、右各事実をもつてしても、被告人が対面信号機の信号を看過したとはただちに断定することはできず、まして、同人がその赤色の表示を看過して本件交差点に進入したとまで断定することが到底許されぬものであることはいうまでもない。

(6)  以上のとおり、被告人が本件交差点に進入した時点でその対面信号機が赤色を表示していたとの事実は、充分な立証が尽されたとはいい難く、本件証拠上その際の右信号機の表示が青色であつたのではないかとの合理的な疑いを挿し挾む余地があるものといわなければならない。

三そうすれば、本件公訴事実で検察官が主張する「被告人に対面信号機の赤色の表示を看過した過失があつた」との事実はこれを認めるに足る証拠がなく、本件は犯罪の証明がないから、刑訴法三三六条に従つて、被告人に対し無罪の言渡をする。(永山忠彦)

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